story

TBTのこれまで

経験者だからこそできるサポートを

Three Blue Trees(TBT)は2014年に創業しました。実際に留学を経験したことがあるからこそ役に立てることがあるはずだと考えたことが、創業のきっかけです。ここでは、創業に至るまでの経緯をご紹介します。

取締役COO 蛯沢睦美

父の影響で英語と海外に興味を持ち始める

​私は幼少期から高校まで岩手県花巻市(旧石鳥谷町)で育ちました。花巻市(旧石鳥谷町)は、古くから全国各地の日本酒の蔵へ酒造りの職人(杜氏)を輩出している“南部杜氏のふるさと”として知られていますが、当時(花巻市と合併前)は人口16,000人余りの小さな町でした。

もともと私は英語が好きでしたが、そのきっかけは私が幼い時から父親がよく外国人の方を家に招いたり、私も彼らの家に遊びに連れて行ってもらったため、次第に英語について興味を持ち始めました。

中学2年生のときの挫折

中学2年のとき、岩手県が主催の留学プログラムでアメリカに行ける機会があることを知り、私はすぐさま応募しました。そのプログラムを私の2歳年上の姉も経験していたからです。

しかし、町(旧石鳥谷町)の代表として行けるのはたった2人だけで、応募者は3人。 選考方法はくじ引きでした。

応募者3人で選考会へ行き、私が一番最初にくじをひくことになりました。くじをひくと、なんと結果はハズレでした。選考会はその時点であっけなく終わってしまったのです。

私は、はずれを引いた瞬間、涙がこぼれそうになったので、泣くのをぐっとこらえることに必死でした。その日、家に帰ってからはたくさん泣いた記憶があります。あの悔しい気持ちは今でも忘れられません。

念願のアメリカへ

それから1年後、中学3年のときに私の町(旧石鳥谷町)とアメリカ・バーモント州のラットランドとの間での姉妹都市交流プログラムに応募しました。

私が以前くじびきでハズレを引いたこともあり、先生方が配慮してくださって私は5人の交換留学生の1人として、念願のアメリカへ行けることになったのです。

それが私の初めての海外経験で、また私の人生のターニングポイントでもあります。

初めての海外経験

私のホストファミリーはとても優しく、温かく私を迎え入れてくれたおかげでとても充実した2週間を過ごすことができました。しかしその反面、現地での滞在中は英語でうまくコミュニケーションが取れずに悔しい思いをしました。

「また絶対、必ずアメリカに戻ってきたい。その時にはホストファミリーやアメリカの友人達としっかり英語でコミュニケーションを取れるようになりたい」という強い想いから、留学を決意しました。

帰国後も手紙でホストファミリーをはじめ、他の交換留学生ともやりとりを続けていました。

高校3年生での決意

高校は岩手県盛岡市にあり、英語教育に力を入れている盛岡白百合学園高校へ入学しました。入学後も英語は好きで、またホストファミリーや友人達に会って、自分の成長した姿を見せたいという目標もあったため、必死に勉強を頑張ることができました。

そして父親からの勧めもあり、本格的に「アメリカ留学」という道を考え始めました。

高校3年の春頃に、同じクラスの友人がニューヨーク州立大学FMCC校(2年制大学:コミカレ)に入学が決まったと聞いたのです。その学校を調べてみると他の大学に比べ、学費なども安かったため、私の両親に相談したところ背中を押してくれました。

進路が決まったのは高校3年の6月、それから渡米の準備が始まったのです。

周囲の反対を押し切っての渡米

しかし、あの2001年9月11日、私が留学を予定していたニューヨーク・マンハッタンで 「アメリカ同時多発テロ」が起こったのです。

進学予定先のFMCC校は、ニューヨーク・マンハッタンから車で約3時間ほどの郊外にあるため、直接的な被害や影響はありませんでしたが、私の両親や家族、周囲の方々からは 「いまこのタイミングで行かなくてもいいじゃないか」とアメリカ留学に対して大反対だったのです。

しかし、私の留学に対する決意は固く、

「いま行かないでいつ行くのか」

という意思を貫き通して、予定通り渡米しました。

アメリカの2年制大学へ進学

FMCC校には2002年5月に入学し、入学後はESLという留学生の為の英語のクラスを受講しました。

この学校はニューヨーク州の郊外にあり、治安もよく緑に囲まれたのどかな環境でしたが、私にとっては何もかもが新しく、毎日が刺激的でした。ただ、FMCC校に入学した日本人留学生がその当時、かなり多かったのです。100人は在籍していたと思います。

そんな中、だんだんと日本人留学生が少ない環境で頑張ってみたいと思うようになり、自分で他の大学をリサーチし、すべて自分で手続きをして同じニューヨーク州立大学のHerkimer County Community Collegeへ2002年9月に入学をしました。

アメリカの2年制大学を卒業し、帰国

子供に英語を教える夢を持っていたので、Herkimer County Community Collegeでは幼児教育を専攻し、現地での保育園実習などを経験してきましたが、現地の子供たちとはバックグラウンドが違うので、どの絵本が人気なのか、そして子供が喜ぶ歌など全く知らなかったので、教育実習はかなり苦労しました。ですが、先生や同じ専攻の学生たちにも恵まれ、サポートしてもらいながら無事に2年で卒業しました。

4年制大学へ編入しようと考えていましたが、姉・弟もいたこともあり経済的に難しいため日本に帰国し、地元で就職しました。

カナダ・バンクーバーへ

3年間でまた少しずつお金も貯めて、今度は、J-SHINE(小学校英語指導者資格)を取得するため、カナダ・バンクーバーへ渡りました。カナダから帰国後は、資格等も生かして仙台や東京などでも社会人経験を積んできました。

そして、バーモント州・ラットランドのホストファミリーとのやりとりはずっと続けており、まさか、お互いの結婚式にも参列するなんて想像もしていませんでした。 ​

留学エージェント「TBT」の立ち上げ

私が高校時代、アメリカ留学をしようと思ったときにまわりには留学を経験した人もほとんどおらず、また情報も少ないため、仙台のような大都市へ自分で足を運び、留学説明会や個別相談会などへ参加して情報を得ていました。

その時の経験をもとに、地方でも留学に関する情報がもっと身近にあれば良かったと思い、帰国後も社会人生活を送る中で、ずっと私の留学経験を活かし何かできないかと、模索し続けていました。

その後、青森県出身の主人と結婚し、もともと起業志向の強かった主人が私の想いに賛同してくれたことにより、主人の地元でもある人口15,000人弱の小さな町(青森県東北町)で、2014年8月に青森県で唯一の留学エージェント「TBT」を立ち上げました。

現在の活動について

現在は、主に以下の事業を展開しています。

  • 留学エージェント
  • 英会話教室
  • 各種翻訳サービス
  • 損害保険代理業(AIG損保)
  • 海外輸出支援
  • リユース事業

今後も、世界へ羽ばたく皆さまをサポートしていきたいと思っております。